01.

「澪―――」
……。
「澪ちゃ…―――」
んー……。
「澪ちゃーん!朝だよー!」
んんー。眠い……。寝かせてー……。
「ほらー。早く起きないとおはようのチューしちゃうよー。」
んー……。んん?!

――ガバッ

慌てて布団から勢いよく起きあがると、横にいるのはもちろん、気色悪い父。眠くて眠くて仕方がない私の横で、ニコニコ機嫌良く笑っている。
歳は取っているが、端正な容姿。優しそうな双眼。……らしい。
わたしに言わせれば、弛みきった顔だ。
娘の私が言うのもなんだが、この父は、相当の親ばかだ。愛されているのだとは思うのだが、此処まで来ると、はっきり言ってうざい。

「何だよー。もう少し寝ていてくれたら、朝から澪ちゃんのほっぺにチューできたのにー。」
「うるさい。朝から騒がしい。」
「澪ちゃんひどい。パパ悲しい……。」
そう言って父は泣き崩れる、真似をする。こんなことに付き合っていたら、毎日同じ屋根の下で暮らしていけない。こういうのは、無視するに限る。

「じゃ、朝ご飯、下に用意できてるから降りてきてね。」

私の無視が効いたのか効かなかったのか、父はケロッと顔色を変えるとあっさり部屋から出ていく。自分の親ながら、思考回路は全く読めない。……まあ、読みたくもないけど。


私は父が部屋から居なくなると、学校に行く準備をしながら今日見た夢の事を考えた。
最近、同じような夢ばかりみるのだ。それもあまり良さそうな夢ではない。フードをかぶった人間ばかりが出てくる、不気味な夢。深夜にうなされることもある。
例え夢とは言え、そんな夢ばかり見ていたら気が滅入るというものだ。
私は沈みがちな気分を一喝して、今日も一日頑張ろうと気合いを入れる。
それでも、何故か不安がよぎる。
「大丈夫。だって、夢は夢なんだから。」
自分に言い聞かせるように呟く。

「澪ちゃーん?遅刻するよー。」
「はーい!今行く。」

下の階から聞こえてくる父の声に、時計を見ると、7時40分。
もうこんな時間?本当に遅刻しちゃう!
わたしは慌てて下に駆け下りて、テーブルの上のトーストにかぶりつく。

「らあ、いっれいまう!!」
トーストを銜えたまま玄関にダッシュして、リビングにいる父に挨拶する。

「あー!ちょっとまって澪ちゃん!」
「えー。なにー?」
呼び止められたことにげんなりしながら、銜えていたトーストを手にとって振り返ると、父が慌てた様子で駆けてくる。
「もう!まさか自分の誕生日を忘れているのかい?今日は澪ちゃんの18歳のバースデーだよ?」
父は歳に似合わず頬をふくらませて怒る。こんな大人、嫌だ。
「あー。そうだったね、忘れてた。」
私は頬を引きつらせながら答える。
「パパが、パパが、男手一つで此処まで可愛く育てたのに、それを忘れるなんて!」
「はいはい。育ててくださってどうもありがとうございます」
馬鹿らしい話の展開の上に、私は急いでいる。投げやりになるのも致し方ない。
「またそうやって……。パパが、パパが……!」
「ごめん。遅刻しそうなの!じゃあね!」
「待って!パパ特製のスペシャルフルコース作って誕生日パーティーするから、早く帰ってきてね!」
「わかったー。」
はぁ。返事をしないと後でまたうるさいので、適当に返事をして外へ飛び出す。

外には、心地よい春風が吹いていた。

私は今日から高校3年生。久しぶりに友達に会えることに、心が弾む。
でも、高3と言えば、勉強ばかりで嫌な学年だ。私の通う高校はそれなりの進学校で、ほぼ全員が大学受験をする。新学期が始まる前から塾の春期講習に通ったりして、周りはもうとっくに受験体制だ。 私も春期講習に通ったのだけれど、やる気は全くと言っていい程出ない。そもそもそんなに必死になって勉強して、大学に行くことにどれほどの価値があるのか分からない。特に行きたい大学が有るわけでもない。やりたい事が有るわけでもない。 何もないから大学に行く。とりあえず受験、とりあえず勉強。そうやって決まる人生なんて嫌だ。
私の生きる世界がとても味気ないものに思えてどうしようもない。
周りの空気に煽られて、一応シャーペンを握るけれど、気持ちの入らない私の心は、ぐらぐら揺れて集中できない。
どこか遠い所へ行きたい。最近よくそう思うのは、一種の現実逃避だ。でも、私の心は此処とは違う何処かを求めてやまない。私の知らない、素晴らしいものが、此処ではない何処かに眠っているのではないかと、そう思ってしまうのだ。
もちろん、頭では分かっている。何処に有るにしても、素晴らしいものは簡単には手に入らないのだと。今、当たり前にそばに有るものから、素晴らしさを見いだすべきなのだと。

頭のなかでぐちゃぐちゃ考えながらも、私の足は住宅街の路地をいつもの通り右に曲り、いつもの通りその道をまっすぐ走る。
しかし次の瞬間、いつも通りの筈の道にふと違和感をおぼえて顔を上げる。

「え!?」

そこには、何もなかった。違和感どころじゃない、危機感をおぼえる。
ただ、黒い。あと一歩先は闇の中だ。慌てて後を振り返ると、そこにはいつもの住宅街。

これは一体何?
無意識に考える。
なんでこんな所に、真っ黒い……何かがあるの?

今振り返ってみると、もしこの時即座に踵を返して必死に走っていれば、わたしはこの闇から逃れられたのかもしれない。

しかし無情にも、突然真っ黒い闇が引力を持ち始めた。体に力を入れて抵抗する暇もなく、私は闇の中に吸い込まれる。いつもの住宅街が、どんどん小さくなる。
真っ暗闇の中で、上に引っ張られているのか、それとも下か、はたまた右か、左か。そんなことは一切分からなかった。ただ目をつぶり、叫ぼうとする。

何?何なの?誰か助けてー!
しかし叫びたくても、引力が強くて声が出せない。
いやーーー!!


途轍もない力に負け、わたしは遂に意識を手放した。


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