「黒髪黒眼の少女でございますか?」
「ああ。そうだ。」
「それも、異世界から来たと仰るのですね?」
「……そう言っただろう。」
ここは、イルエディア帝国王宮内王城、執務室。王の間の真下にあるこの部屋には、主である帝王と、その右腕である宰相がいる。この広く、帝王然とした重々しい装飾が成された部屋には、2人の姿以外見えない。
「申し訳御座いません。あり得ないような話で御座いましたので……」
「…………。」
帝王は無言で返す。この話は、確かにあり得ないような話だ。あり得ない事が、起こったのだ。
「しかし、それはまるで……」
イルエディア帝国の宰相であるキアノール・ライガーは、そこで言葉を詰まらせる。キアノールは、自分で言いながらそれが更にあり得ない仮説であると思ったのだ。
キアノールの新緑に似た鮮やかなグリーンの瞳には、彼の溢れる英知が見える。
しかしそれも、彼の目の前にいる帝王ライヴァスには微塵も敵わないが。
キアノールは、帝王であるライヴァスに絶対の信頼を寄せていた。それは、キアノールの堅い忠誠心にも反映されている。まだ若いキアノールの英知を見抜き、宰相と言う地位に大抜擢したのもライヴァスだった。
しかし、ライヴァスに対する忠誠心は、何もライヴァスに近しいキアノールだけが持っているのではない。この王城で働く者は皆、そして王宮のほとんどの者も、更にイルエディアの民達も、熱い信頼を寄せている。
無表情で無愛想なのにも関わらず、どうしてそれ程までに民の信頼を集めているのか。
それは、力だ。断じて、その美貌故ではない。ライヴァスの能力は、絶大だった。知識や剣術、兵法から始まり、何よりも凄まじいのは、魔力だ。そもそも、どこの国でも王族という者は、一般国民よりは遙かに魔力が強い。
イルエディア帝国も例外ではなく、強い魔力と、神の色とされる黒い髪を持つルーダス王家が代々帝位に就いている。
しかし、ライヴァスはその域ではない。言うなれば、異常だった。先祖返り、つまり神の血を引くとされるルーダス王家で、ライヴァスは最も神に近い、とまで言われる。その力の影響は、ライナ全土に及ぶ。
ライナという世界の外には、魔界と呼ばれる世界が広がる。誰もそこに行ったことはない。しかし存在するのは確かなのだ。悪魔が次元の変化でこちらに紛れ込むことがある。悪魔はこの世界には存在しない、魔界の生き物だ。時折姿を現す悪魔は、各地で発見次第駆除される。人に多大な害を及ぼすからだ。
近年、悪魔の出現頻度は徐々に高まっている。ライナと魔界を隔てる結界とも言える壁が、崩れ始めているのだ。その壁については、各国で最重要内容として研究されているが、未だ明るい成果は挙がっていない。しかし、それが魔力に関わることだけは分かっている。ライナの魔力の絶対量が急激に減ったのか、魔界の魔力が急激に上がったのか、壁が月日と共に消耗する仕組みだったのかは、分からない。それでも、こちらの魔力で壁を支えることで、どうにか今日まで保っている。
壁を魔力でコーティングするようにして支えるのだが、それには莫大な魔力を要する。その魔力のほとんどを担っているのが、ライヴァスだ。
そこまで来れば、誰でも分かる。ライヴァスの力は偉大だと。
ライヴァスが帝位に就いてから、各国の小競り合いはピタリと止んだ。だがまぁ、水面下で争いは続いているのだが、どちらにしろ、表だった戦争の被害は一切なくなったのだ。
ライナを支え、戦争のない治世を作り出すライヴァス。民が信頼しない筈がない。
そんなライヴァスだからこそ、キアノールもライヴァスに忠誠を誓う。
キアノールは、あり得ないと思いながらも、自分の仮説が頭から離れない。ライヴァスが、黒髪黒眼の少女が異世界からやって来たと言うのなら、まずそれは間違いない。キアノールはそのことを疑っているのではない。
キアノールは、自分の仮説に希望を託してしまいたかった。
この世界を救うという希望を。
いずれにせよ、もう限界が近いのだ。
キアノールがライヴァスの顔を見上げると、ライヴァスも考え込んでいるようだった。
きっと同じことについてだろう。キアノールはそう思った。
が、実際にライヴァスが考えていたのは、その仮説の事だけではなかった。ライヴァスは少女に初めて出逢った時から、既にその疑いを抱いていた。
しかし今はそれだけではない。少女を思い出す時に感じる、今まで感じたことのない心のざわめき。それにどうしようもなく戸惑っていたのだ。
それを何と呼べばいいのか、ライヴァスには分からなかった。
しかし何故か、昨晩の夕食の席で見た、あの少女の笑顔を、もう一度見たいと思った。
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