22.

王城内の侍女達の間で、ある噂が囁かれていた。
“王妃の間に、帝王溺愛の姫君がいるらしい”と。
その噂に対する確証はなかった。噂なのだから、至極当然だが。しかし、噂が噂を呼んで、侍女達は浮き足だっていた。
今まで女の影さえなかった帝王に、愛しの君ができたと言うのだから、それも納得できよう。

“あの御方が?”
“まさか、何かの間違いじゃない?”
“でも、見ちゃったらしいのよ”
“うーん、確かに陛下、最近雰囲気がちがわない?”
“そうそう、丸くなられたって言うか……。”
“どこか嬉しげよね”
“やっぱり、最愛の姫君を見つけられたのかしら。”
“そんなの、信じられないわ。だって……”
“今までどんなに美しい姫君にも興味を示さなかったじゃない”
“それどころか、滅多に夜会にも顔を出されないし”
“あそこまで常人とはかけ離れた力をお持ちだと、感情も常人とは違うのかと思っていたわ”
クスクスと笑いが広がる。

“それにしても、どんな姫君なのかしら”
“黒髪黒眼の姫だって噂じゃない?”
“まさか!”
“そんなの出鱈目よ。第一、そんな姫君がいるなら、今まで知られていないのはおかしいわ”
“それはそうね”
“所詮、噂よ”
“はぁ〜、でも、私一度で良いからあの紅い瞳に見つめられたいわ”
“あなたには無理よ。そう思っている女が一体どれだけいると思ってるの?”
“その姫君、見たことも無いくらい見た目麗しい美姫に違いないわ!”

噂とはいつも、尾びれ背びれを付けて、終いには何が本当なのか分からなくなる。
しかし今回の噂話はかんばしくない。何しろ澪についての噂なのだから。
今まで特定の女、いわゆる寵姫を作らなかった帝王ライヴァス。その絶大な権力を欲しがる輩は五万といるが、そのすべてを冷たい一瞥で蹴散らして来た。その帝王がついに……、ともなれば、噂は瞬く間に広がる。

この噂話は、すぐに宰相の耳にも届いた。
これは、不味い。一体どうしようかと彼は途方に暮れた。しかし相談出来る者がいない。澪の存在は、今全く公にされていないからだ。
人の口に戸は立てられないとは、良く言ったものだ。

「どうすれば良いんだ?」
宰相のむなしいため息が、執務室に響いた。



あの日から私は、ああやって抱きしめられることが何度かあった。
明らかにスキンシップ的なものが増えている、気がする。
いくら顔が類希なる美形で、魔力が強い帝王でも、あれではセクハラ変態王だ。それにやたら声が良いのも、暖かさが心地良いのも、なんか癪である。うん、決めた。命名、セクハラ変態王。
例えばどんなことがあったかって?えっと、いや、それはなんか恥ずかしいから止めておこう。
でも、不思議とそれが嫌ではない。私はどちらかと言うと、そっちの方が衝撃的だったかもしれない。だってそれって、もしかして……。私はあの王の事が?
いやいや……それはないだろう……。



ライナという異世界に来てから今日で丁度一週間だ。毎日がやたら濃くて、もうずっとここにいるような気がする。
しかし、私は今日まで王の間周辺から出たことがなかった。そもそもどこからどこまでが王の間かが分からない。この王妃の間は少なくとも王の間の中にあって……。もしかしたら、あのでかすぎる風呂場も、食堂も王の間内なのだろうか。

私は、今日、王城の中庭に来ていた。髪の色が分からないように、ターバンのような変わった形の帽子を装着して、だ。部屋から自由に出られないという生活に嫌気がさして頼んだら、王城の中庭なら、ということで許しが出たのだ。
それにしても、私は何故こんなにも厳重に保護されているのだろうか。ローナは私が黒髪黒眼だから狙われて危ないと言っていたが、それだけでこんなに手厚く守る必要があるだろうか。
それはおかしいような気がする。だってあの帝王からしたら、私はただ偶然この世界に来た赤の他人でしかないのだ。あのやたら美形な王様とは違って、私は別段美人ではないし、とりわけ何が出来るわけでもない。
おかしい。私の知らない何か重要な事があるきがしてならない。
いや、考えてみれば謎だらけだ。そもそもどうして私はこの世界に来てしまったのだろう。何故帝王は私に部屋を、しかも王妃の間を貸すことにしたのだろうか。
私の中のもやもやとした何かが上手く処理できなくて気持ち悪い。

しかしそれでも、綺麗な花々を見ていると落ち着いてくる。何より王城の中庭は素晴らしかった。目にも鮮やかなグリーンと色とりどりの花々が、様々な形で見る人を楽しませている。きっと庭師によって頻繁に手入れをされているのであろう、洗練された美しさがそこにあった。

ローナとルアンダが、中庭を歩く私の後から優雅についてくる。メアリは、別に用事があるらしい。
私は真っ赤な色をした小さな花の前で止まる。
「ねぇ、ローナ、この花はなんて言うの?」
「これは、マキル・ノアと言います。このイルエディア帝国の国花です。ノアが付くのはそのせいです。」
「へぇー。そうなんだ。」
私はその花を見て微笑んだ。確かにこの赤い色は、ライヴァスの瞳を連想させる。
ライナには、地球とは違う花がたくさんある。
「じゃあ、こっちは?」
私は少し先に駆けてローナ達を振り返る。いや、振り返ろうとした。
そう、実際は出来なかったのだ。

突然、横の茂みから、男の腕が出てきた。そして、私はその手に後ろ向きに拘束され、口を押さえられた。
何?
私は突然すぎる出来事に、何が起こったのか理解できない。
「んん〜!!!」
私は感じる恐怖のまま大声で叫ぼうとした。しかし、口を押さえられている為、声にならない。

ローナ達がすぐさま侵入者に気づく。何処に隠していたのか、小さな戦闘用ナイフを手に迫ってくる。
「手を離しなさい!何処の輩とも分からぬ者が、気安く触って良いような方ではありません。」
ローナがいつもの優しい笑顔を微塵も感じさせない顔で男を睨む。男は私の背中側から腕を回して口を押さえている為、私から男の容姿は全く見えない。
「誰か!警備の者はいないのか!!侵入者だ!!」
ルアンダが助けを求めて叫びながら中庭を走り去る。
私が人目に付かないようにと、ひっそり散歩に来たのがかえって仇になったようだ。
「……。」
しかし男はそういったローナ達の行動に全く焦る様子を見せない。そして、まだ一言も発していない。
―怖い。助けて!
私はがたがた震えていた。

「何が目的ですか!早く言いなさい!」
ローナが叫ぶ。
「……。用は済んだ。」
無機質な声で男は一言そう言うと、私を腕にかかえて走り出す。それは、人を一人かかえているとは感じさせない走りだった。言いようのない恐怖で私はなされるがまま、男の腕のなかで暴れることも出来ない。
「待ちなさい!」
その後をローナが必死に追いかける。
ここはイルエディア帝国王宮内。たやすく侵入者を取り逃がしたりはしない。周りの警備兵達も事態に気づきだした。

しかし男の行動は隙が無く、鮮やかだった。
無論、男は脱出手段をきちんと用意していた。
人気のない庭の外れまでやってくると、そこに用意してあった転移陣に飛び込む。この王宮では、王宮内外、つまり王宮の中から外へ、外から中へといった瞬間移動が禁じられ、なおかつ結界で封じられているからだ。
わたしの視界は突然真っ黒な闇に覆われた。今確かに感じるのは、私を荷物のように抱えている男の腕の感触だけだ。

「しまった!!」
最後にローナの声を聞いた気がした。


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