背中に冷たい床の感触がする。
私はゆっくりと目を開けた。ずっと眠らされていたのだろうか、視界がぼやけているし、頭がボーっとする。
そこは小汚く薄暗い部屋だった。板張りの床が所々剥がれかけている。
ゆっくりと部屋を見渡すと、その殺風景な部屋にはぽつりと男がいた。暗くて表情は分からないが、なんとも存在感の無い男だ。
「ここ、は……」
私はつい言葉を漏らしてしまう。声が掠れている。
静かな部屋に思いの外私の呟きは大きく響いた。男が私を見る。
「あ……」
男の 色の目は私を見ているようで見ていない。虚ろ、という言葉とは何かが違う、その目の光。私の背中にゾクッと悪寒が走った。
「ここは、王宮ではありません……。」
男は興味がなさそうにすぐに私から目をそらし、その目をそのまま声にしたような無機質な声で言う。人間らしい感情の全てが欠落しているかのような……
でも、私はそれが不思議と怖くなかった。これはまだ頭が正常に働いていないからだろうか。
「あなたは、誰?」
私は男の目をしっかり見つめて言う。
思った以上にはっきりとした自分の声に、自分でも少し驚く。
「……それは、知らなくていいこと、です。」
「そうかな。少なくても名前を呼ぶときに困ると思うけど。」
「……。」
男は黙って私を見た。暗くて分からなかったが、よく見ると、顔の作りはなかなか美形だ。なんか王宮では周りの人間がやたら美人だらけだったから感覚が鈍っているが、簡単にそこら辺で見つからないぐらいの美形である。しかし、顔の作りよりも何よりも、男の異様な目が、見る者に強烈な印象を与える。
男は尚も黙って私を観察している。何を考えているのだろうか、その顔色からは全く何も分からない。この人間らしくない表情を見たら、きっとあの無表情な帝王も真っ青だ。
「……怖くないのですか。」
光も無いのに、男の目がキラッと光ったように見えた。
「何が?」
図太くそう答えた私に、男は何か珍しいものを見つけたかのように私を眺める。
「で、名前なんて言うの?」
私は喋りながら、何で私はこの男が怖くないのだろうかと考える。状況から考えて、この男が私の誘拐の犯人、または関係しているのは間違いないだろう。私は無理矢理攫われたのだ。
私の中に、自分の状況を冷静に、客観的に見ている自分がいることに、私はぼんやり気づいた。ああ、今までの私の常識では考えられない非日常的なことが立て続けに起こって、感覚が崩壊しているのだろうか……。
それとも、単にこの男は恐れるべき奴じゃないから?
「カイ。」
男が一言呟く。
「それが、名前?」
私は確認しようとするが、男は何も言わない。私は沈黙を肯定と取ることにした。
「貴方の名は……」
その代わりに男は私にそう聞いた。
「名前も知らないのに誘拐したの?」
私は目を見開いて男に問う。普通、名前も知らない人間を誘拐したりするだろうか?
「……任務に必要な事以外何も知りません。知る必要はない……。」
まるで男は自らに言い聞かせるように言う。
「……私は澪。篠原、澪。」
男は私の声を聞いているのか、いないのか、曖昧に頷いたようにも見えた。
「ねぇ、なんで私を誘拐したの?」
その質問に男は答えない。
「誰かがあなたに命令したの?」
この質問にも答えない。
「じゃあ、ここはどこ?」
「ここは……まだイルエディア帝国内です。」
「まだ?」
まだ、ということはつまり、これから帝国外に行くということだろう。
「これからどこに行くの?」
「……。」
男、カイはそれから私が何を聞いても答えなかった。
私は仕方なく少しはっきりしてきた頭を使って今の状況を考える。
まず、この部屋。これはどう見ても廃墟だろう。人が住んでいるような形跡は全くない。床はいつ抜けてもおかしくなさそうだし、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。
部屋は結構大きい。しかしその部屋の中には何もなかった。ただ、私から向かって左側に小さな窓が付いている。この部屋が薄暗くても真っ暗ではないのは、その窓を覆う分厚いカーテンから僅かな光が入ってきているからだろう。
その光から今がまだ日が暮れていない時間だと分かる。私が中庭で誘拐されてから、果たしてどれくらいたったのだろうか。
それから危惧すべきなのは、目の前にいるこの男。しかし私はこの男にあまり警戒心を抱いていない。
この男の目には、なんの感情もないのだ。悪意の色も無ければ、後悔の色もない。きっとこの男は、誰かに言われたことをただ実行しているだけなのだろう。そこにはこの男の一切の感情がない。そんな芸当が雇われてすぐの人間に出来るだろうか。
……答えは、否だ。
この男は、幼い頃から特別な教育をさせられて来たに違いない。この男の上に、この男を教育し雇っている何者かが存在するのだろう。
何より一番気になるのは、私を誘拐した目的だ。何の目的もない者が、まさか一国の王宮の、しかも最奥にある王城で誘拐をしようとは思わないだろう。
この黒髪が目的だろうか。珍しいもの好きな人体収集家とか?うわぁ。想像するだけで鳥肌が……。
うぅ……。しかし私の存在を知るものは少なかったはず。なぜ私があそこにいることが分かったのだろう。
しかも男はこれから帝国外にいると言う。少々私の存在が外に漏れだしているとしても、国外にまで噂が広まっているとは考えにくい。うーん……。
うーーーーん……。うーん…………。
あー、それにしても、頭使いすぎて頭痛がする。
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